こんにちは!井本由紀先生のゼミに所属しております、慶應義塾大学3年の吉賀希です。
今回は、同ゼミに所属しております長井、吉賀の合計2名で対面授業を担当致しました。
今回は、“児童労働について考える”をテーマに、チョコレートの成り立ちを始め、世界の児童労働における現状、そしてこれからについて考えるワークを実践しました。
最初に
「今日は少し難しいお話をしようと思っているんだけど…」
と言うと、
「わかった!食糧困難!」
「戦争!」
次々と子どもたちから社会問題が挙がります。
「ヒントは、みんなと同い年くらいの子どもたちかな…」
と言うと、すぐに児童労働に行き着き ました。
まずは、みんなでチョコレートを食べました。
早速、子どもたちに質問をしてみます。
「チョコレートはどうやってできたのかな?」
「カカオ豆!」という言葉が出る中、
「カカオ豆を砕いてできたカカオマスからできるんだよ。」
と詳しく説明してくれた子がいました。
カカオ豆の写真を見て、
「チョコレートって元々こんな感じなの?もう食べないことにした!」
と言う子も…。
「チョコレートは、カカオマスと砂糖とバターで綺麗な結晶になって固まっているから、一回解けちゃうと、もう元のようには戻らないんだよ。」
と教えてくれた子もいました。
日頃から身の回りのことにアンテナを張って、沢山のことを吸収しているのだろうなと思うのと同時に、学ぶ姿勢としてとても素敵だなと感じました。
次に、このような質問をしてみます。
「このチョコレートはどこの国から来たのかな?」
これはみんな少し難しそうでした。
「ヒントは…今みんなが食べたチョコレートのパッケージ!」
みんなパッケージに書かれた「Ghana」という文字を何とか読もうとしてくれました。
「ガーナだ!」
とある子が言ってくれました。
「日本で使われているカカオの70%以上はガーナからもらっているんだって!」
と伝えるとみんな少し驚いている様子でした。
「じゃあ、そんなガーナはどこにあるのかな?」
みんな大きな世界地図に向き合い、一生懸命にガーナを探します。
「カカオは熱帯でしか取れないから赤道に近い気がする。」
というある子の鋭い指摘で、あっという間にガーナが見つかりました。
ここからは今回の本題。
「日本で使われているカカオの70%以上はガーナからもらっているってさっき言ったと思うんだけど、ガーナでカカオをつくる時、みんなと同い年くらいの子が沢山働いているんだって。」
今までと少し雰囲気が変わりました。
「実は6月12日は児童労働反対世界デーなんだけど、これは2002年に“児童労働を失くそう!という”思いで決められたんだよ。」
「20年前じゃん」
と気づいて言ってくれた子がいました。
「そうだね。20年も経ってるのに、世界で児童労働をしている子どもはまだ1.6億人くらいいるんだって。1.6億人ってどのくらいの人数か想像つきにくいけど、5〜17歳の子どもの10人に1人が働いているということなの。」
「みんなは児童労働はなくなるべきだと思う?」
と聞くと、
「なくなるべきだと思う。勉強と仕事を両立するのは大変だから。」
と答えてくれた子がいました。
「児童労働をしている子はお仕事が忙しすぎて勉強する時間もないんだって。」
と伝えると少し意外に感じている様子でしたが、仕事と両立することとして勉強がすぐに挙がるのは、平日は1日5コマ程授業を受けるのが当たり前の彼らならではの視点で面白いなと思いました。
「どっちでも良いと思う。」
と答えてくれた子もいて、どうしてそのように考えてくれたのかを聞くことはできませんでしたが、その子の頭の中ではきっと様々な思いや考えが絡み合っていたのだろうと思います。
最後にみんなで再びチョコレートを食べて、今回のワークはおしまいにしました。
私たちにとって非常に身近な食べ物であるチョコレート。
“これが自分と同い年の子たちの手によって作られたものなのかもしれない”
ということは、子どもたちにとって少し衝撃が大きかったかもしれません。
それでも今回の授業を通して、
朝ご飯を食べて、学校に通って、授業を受けて、友達と遊んで、家に帰ってきて、お風呂に入って、夜ご飯を食べる
という子どもたちにとっての“当たり前”は世界のどこかに暮らす子どもたちにとっては“当たり前”ではないのかもしれないということを少しだけ感じてもらえれていればなと思うのと同時に、この先、この問題が依然として残り続けてしまった時に、子どもたちも私たちもこれに目を向けられる人でありたいなと思いました。
こんにちは(^^)/ 「せかい」クラスの月いち講師・はらみづほです。
今日もまず日本のごあいさつから。本日も…よろしくお願いいたします!
今日のテーマは、『くらしの中の「せかい」を探せ!』。
私たちのくらしの中にはいろんな「せかい」がいっぱいだってこと、氣づいてるかな?
例えば、みんなが今着てる服の原料は何だろう?
「………」
今着てるTシャツは、何でできてると思う?
「おかいこさん…?」
お~!お蚕さんを知ってるんだね?
「幼虫みたいな虫でね、桑の葉を食べて、糸を出すんだよ!」
そうだね~お蚕さんが作ってくれるのは、絹糸。シルクです。シルク、って聞いたことあるかな?スベスベでやわらかくて肌触りのいい高級な布。シルクは、お蚕さんが出す糸でできた布のことです。
「虫なのに、なんで『お蚕さん』て言うの…?」
おぉ~!いいとこに氣がついたね~!なんでだと思う?
「………」
みんな、「お父さん」「お母さん」て言うよね?
大事な人だから「お」とか「さん」という丁寧な言葉を付けて、「ありがとう」や「大切だよ」の氣持ちをこめて表現するんだよね?
「お蚕さん」も、とっても大事なものだったから、「お蚕さん」て丁寧に呼んだの。
なぜなら、その虫が出してくれる糸のおかげで仕事ができて、くらしが成り立っていたから。
「あなた達のおかげで生きていけます。ありがとうございます」という想いを込めて、「お蚕さん」て丁寧に呼んでたんだよ。
今日みんなが着ているTシャツは何でできてるかな…?
これは…木綿だね。英語で言うとコットン。絹は虫が作ったモノだったけど、木綿は何からできてると思う?
「植物?」「木?」
その通り!
「ぼく見たことあるよ!木のとこにホワホワ~って白いのができるの」
お~よく知ってるね!そう、綿の木の実がはじけると、その中にホワホワした白いワタがあるの。それを摘んで、ほぐして、のばして、撚って糸にしたものが木綿糸で、その布が今みんなが着ているTシャツになってるんだね。
昔は日本でも木綿を作ってたんだけど、今はほとんど外国から輸入しています。
主にインドや中国からの輸入が多いんだけど、地図で見てみよう。インドや中国はどこにある?
Rくんが着ているTシャツの素材は、ちょっと木綿とは違う手触りだね。この素材は「ナイロン」か「ポリエステル」じゃないかな…
みんな、「ナイロン」や「ポリエステル」って聞いたことある?
「………」
「ナイロン」や「ポリエステル」はね、石油からできている糸や、それで織った布の種類の名前です。石油は液体だけど、糸や布にもなるんだね。
布になるだけじゃなく、石油は車や船を動かす燃料でもあるから、インドや中国から木綿を運んでくる時も必要なものだよね。
石油は主に「アメリカ」「サウジアラビア」「ロシア」で採れています。
じゃあ、その3つの国を探してみよう!どこにあるかな?
日本は、着るものも、食べるものも、くらしの中で使っているたくさんのモノやモノの原料も世界中から輸入していて、それらを外国から運んでくるだけで、石油・ガソリンが必要。
モノを作ってる工場からお店に運ぶのにもまたガソリンが必要だから、ほとんどすべてのものが、「アメリカ」「サウジアラビア」「ロシア」などで暮らす人々のおかげで、私たちの手元に届けられているんだよ。
そんなふうにして、私たちのくらしは、た~~~っくさんの「せかい」のおかげで成り立っているんだけれど、今日はその中の一つ、「バナナ」のお話をします。
私は世界を旅している時に、「エクアドル」という国で、今まで食べたバナナとは全然違うビックリするほど美味しいバナナを食べたの。
あんまり美味しくて、私が「このバナナは、『白玉もっちり太陽バナナ』っていう感じですね!」って言ったら(笑)、食べさせてくれた人が笑いながら、
「美味しいでしょう!これはバナナ農園をやっているお友達から木で完熟したものを特別に分けてもらってる、日本じゃ食べられないバナナなのよ~!バナナは、熟していない青くて固いものじゃないと輸出できないから」
って言ったの。
私はそのバナナ農園に行ってみたくてたまらなくなって、「取材に行きたいので紹介していただけませんか?」と頼んで、訪ねて行けることになったの。
さぁ、じゃあエクアドルを探してみて!どこにある?
ヒントは、南米大陸。小さい国だから、注意深く探してね!
これが、田辺農園さんに行った時にみんなで撮った写真です。
いちばん左の青いTシャツの男の人が、バナナ農園をつくった田辺正裕さんだよ。正裕さんの隣は、正裕さんの息子さんです。これはもう20年前の写真だから、この時高校生だった息子さんも今は30代だね。どうしてるかなぁ…!
真ん中の白髪の男の人が正裕さんのお父さんで、お父さんの隣がお母さん(お父さんとお母さんの間にいるのが私)。このお父さんとお母さんが若い時に日本からエクアドルに移住して、たいへんな苦労をしてジャングルを切り拓き、畑をつくって農業を始めたんだそうです。
これが田辺農園の入口のあたり。東京ドーム22個分のでーーーっかい農園で、道の両側に見えるのが、バナナの木…と呼びたくなるほどでっかい、バナナの「草」です。すごく背が高くて木みたいに見えるけど、バナナは木じゃなくて草なんだって!
↑バナナの赤ちゃん
↑バナナの実はこんなふうに成っています。房の下に見えるのはバナナの花だよ。
↑バナナの花と私。花、でっかいねー!私、若いねー!笑
ぶっといバナナの草の茎を切ってみると…ネバネバしていてビックリ!
この人は、竹でつくったハシゴに登ってバナナの実の間にスポンジを入れる仕事をしていました。バナナの実の先っぽの部分で、別の房の実が傷つかないようにするためなんだって。
ぜんぶのバナナにこれをやるんだな~と思うと氣の遠くなるような重労働ですが、この丁寧さのおかげでバナナは傷つかず、腐ることも防げる。とっても大切な仕事です。
実は…こんな高いところでの作業なんだよ~!どうぞお氣をつけて~!
この人は、東京ドーム22個分の農園に張りめぐらされたケーブル(収穫したバナナの房を引っかけ、運搬するためのもの)を、バナナの加工場まで人力で引っ張っていく仕事をしています。
バナナの房がたくさん引っかかっているものすごく重いケーブルを、全力で引っ張って全力疾走!ついていくのが大変なほどのスピードで、ハァハァ言いながら汗だくで走る姿はものすごい迫力!オリンピックの選手みたいだったよ!
ケーブルの曲がり角は重さが倍増する難所。
私もチャレンジさせてもらいましたが、重くて重くて全然動かない!どんなに踏ん張って全身全霊で引っ張ってもビクともしなかったので、この仕事をしている人がどんなにすごいかを思い知りました~!(≧o≦)
農場の各地から、加工場に到着したバナナちゃんたち。
そこで、ものすごいスピードでバナナのサイズを測って規定外のバナナや傷ついたバナナをナイフでカットする仕事をしている、この道30年?のバナナ職人さん。
バナナ専用のモノサシを房にシュパッと差込んで、瞬間チェック!ものすごいスピードで次から次へとこなしていく姿に圧倒され、0コンマ1秒を競ってるのはオリンピック選手だけじゃないのね~!と思いました。
バナナ職人の目をパスしたバナナちゃんたちは、バナナのプールに次々ダイブ。ここで汚れやネバネバを水に流し、キレイな姿になります。
この女性はナイフを持って、バナナの房をちょうどいい大きさに整えていました。切るとネバネバが出てくるから、切ったらすぐ水の中に戻します。
バナナのプールのところでは、たくさんの女の人たちが働いていたよ!
女性たちがキレイにカットしたバナナちゃんたちは、ベルトコンベアにのせられて…
切り口の部分に消毒液が吹きかけられ…(田辺さんのバナナは農薬・化学肥料を使わずに育てられていますが、この消毒だけは輸出する際には欠かせないのだそう)
ブランドのシールを貼られて…
ひと房ずつ袋詰めされます。
この人は、袋詰めされたひと房ずつのバナナを箱詰めする係。
バナナどうしがぶつかって傷つかないように氣を付けながら既定の数をピッチリきっちり入れるのはすごーく難しそう!でもこの人はものすごいスピードで、パズルをはめるように次々手早く詰めていて、その手さばきに拍手を送りたくなりました。
箱詰めされたバナナの総量を量り、既定の重さになっているかチェックする係の人。重いバナナの箱を持ち上げて一つ一つ量り続けるのは、大変だろうなぁ… お疲れ様です!
たっくさんの人の手を通って箱詰めされ出荷を待つ、青いバナナたちが入った箱たち。
出荷されるバナナのひと房は、「ワンハンド」と呼ばれるのだそう。バナナの房が手に似ているからだと思うけれど、日本の私たちの手に届くこのバナナは、こんなふうにして大勢の人々の一人一人の「ワンハンド」を通って届くものだったんだなぁ…と思ったら、ありがたさで胸がいっぱいになりました。
何百個ものバナナの箱を港まで運んでくれるおじさんのワンハンドも、大切な存在。
トラックは東京ドーム22個分の農園の間を走り抜けいくつもの町々を超えて、輸出船の待つ港へ向かいます。
そして…トラックはついに港に到着!(何時間くらい走ったのかな…)
そこで待ち受けているのは…輸出にあたってバナナの品質を最終チェックする検査員たち!
ワイロを渡さないと何だかんだとイチャモンを付けられて、全箱持って帰れと突き返されることもあるそうで、荒くれ男ばかりの港には危険がいっぱいだそう。
そんな港の様子を私が無事に取材できたのは、「女性が一人で港に行くなんてとんでもない!危険過ぎる!」と心配してくださった田辺さんが、「どうしても行きたいなら、この人と行ってください」とトムさん(右)をご紹介くださったから。
トムさん、お元氣かなぁ…… その節は本当にお世話になりました…!!!
ちなみに左は、この港を仕切っている親分。スペイン語が話せたら、インタビューしたかったなぁ…笑
バナナの箱は巨大なコンテナに入れられて、輸出用の船に積み込まれます。
未熟な段階で収穫され輸出される緑色のバナナたちは、酸素をシャットアウトした冷蔵空間の中で運送され、日本に到着した後に「室」に入れられて、黄色く熟成してから販売店に運ばれるのだそう。
いやぁ~!バナナ一つとってみても、実に多くの人の手と工程を通して、私たちの手元に届けられているんだね!!!
私が訪ねた時、田辺さんのバナナはアメリカにしか輸出していなくて、田辺さんは「本当は日本の人々に食べてほしいから、日本に輸出できるようにがんばっている」と話してくれていたけれど、5~6年前、なんと田辺さんのバナナが日本のローソンで売られているのを発見したの!
ジャーン!!!
今日はみんなで、田辺さんのバナナを食べてみよ~う!
「なんかこのバナナ、ふつうのバナナよりスベスベしてる氣がするー!」
「きれい!」
「おいしそう!」
「いいにおい!」
みんな、よーく味わって、大事に食べようね!
「いただきまーす!!!」
「このバナナ、あんなにたくさんの人がいっしょうけんめい作ってくれてるんだね…ぼく感動しちゃったよ…」
「お父さんとお母さんにも食べさせたいから、持って帰りたいなぁ…」
「うまい!」
「おいしい!」
「モチモチしてて、なんかちょっといつも食べてるバナナと違う感じがする」
「なんかね、このバナナ、味が濃いなーって思った」
モグモグモグ…
「もっと食べたい!おかわりー!」
「ぼく、一口残して持って帰ってもいい?」
食べ終わった人は、田辺さんや農園の人たちにお手紙を書いてね。私が責任をもって田辺さんに届けるから。
今日、バナナ農園の写真を見て話を聴いてどうだったか、バナナを食べて何を感じたかを自由に書いてみて!言葉でもいいし、絵でもいいよ!
ジャーン!みんなのお手紙、できましたー!
一人一人ぜんぜん違ってて、おもしろいね~!
緑色から黄色に変化していくバナナカラーで綴られた立体レター!泣くほどおいしかったのかな?笑
おぉ~このお手紙にも、バナナの進化が描かれてる!「今までで一番おいしいバナナでした」か~!田辺さん、どんな氣持ちで読んでくれるかな~(˘︶˘).。.:*♡
なんじゃこりゃーぐじゃぐじゃじゃーん!…って思ったけれど…よーく見ると紙いっぱいに赤い文字で「うまい」って書いてあるんだね!笑 そしてその下に漢字で名前も書いてある!バナナも3本発見したぞ!こりゃすごいアートレターだなぁ…!武田早雲さんの書道みたいだー!笑
こっちのお手紙も、循環アートレターだなぁ!笑 バナナを食べてる人の上には「おいしい」って言葉が出てて、下からはでっかいうんこが出てる!笑 そしてよく見ると胸にはハートが。なんだか人間の自然な摂理を感じる絵だなぁ~!笑
切り目がある表紙を開いてみると…
中からバナナが飛び出してきた~!ヾ(≧▽≦)ノ
カラフルな文字には色ごとに違う感想が書かれていて、読み応えがあるなぁ…!愛と工夫がギュッと詰まった、ステキなカードレターだね~!♡
実は先日、Facebookで田辺農園さんを見つけてメッセージを送ったので、きっとつながることができると思っているの。
めでたくつながることができたら、あともう一人、時間切れで続きをおうちで書いてくることにした子の分も含め、私がみんなのお手紙を田辺さんに届けようと思います。
海を越えてつながることができたら、特別なご縁になってうれしいね!
そしていつの日かみんなでエクアドルの田辺農園に行って、畑で完熟した『白玉太陽もっちりバナナ』をみんなで味わえたらいいね!
さて、今回はバナナを取り上げましたが、こんなふうにして、私たちの暮らしの中には、世界中から運ばれてきたものがあふれています。
最後にもう一つ、田辺さんに連れて行ってもらったもう一つの畑と、その畑で採れたものの写真を紹介するね。
それはこちら。バナナにとっても似た植物なんだけど、何の原料になると思う?
この葉っぱは刈られた後こんな白い繊維になって…
そうめんみたいに天日に干されて…
引っ張ったら手が切れちゃいそうなほど強い糸になります。そして…
こんなふうに束ねられて出荷され…
とっても丈夫なこの糸(繊維)は、ロープや紙の原料になるんだけれど、なんと日本の紙幣にも、この繊維が配合されているんだって…!!!
この資料は私が帰国後に見つけた、JICAが発行している冊子の中の情報。マニラ麻と書かれたこの植物は、エクアドルでは「アバカ」と呼ばれていました。
この資料を見て、「私たちはお金の原料まで外国から取り寄せているのか!」と思って、私はビックリしました。
日本は輸入大国だから、日本で暮らす私たちは、衣・食・住…すべてのシーンで世界のいろーんな国々とつながっていて、私たちが毎日さわったり食べたりしているものたちは、世界の誰かが手や時間をかけて作ってくれたものなんだよね。
身の回りのモノ一つ一つの中に、いろんな世界の自然のいのちと、そこに暮らす人々の働きが入ってる。
私たちは日本に居ながらにして毎日世界とつながっていて、世界をさわり、世界のおかげで生活できてる。
バナナにも、Tシャツにも、お金にも、世界と地球が入ってる。
だから大事にしようね。「ありがとう」って思いながら、丁寧にさわろうね。
こんにちは!今回は、井本由紀先生のゼミに所属しております慶應義塾大学の深瀬、古川、吉賀の合計3名で対面授業を担当致しました。
今回は、“「いただきます」という言葉について考える”をテーマに、日本を始め、様々な国で食事の前に用いられる言葉に触れたり、「いただきます」という言葉の由来について考えたりするワークを実践しました。
まずは「いただきます」という言葉をより捉えやすくするためにみんなでおやつを食べました。
私たちが用意したのは、ドライマンゴー、チーズ、チョコレート。
みんなで協力しながら、一人一人同じ量を食べられるように均等に分けてくれました。
準備が整ったら、みんなで「いただきます」の言葉と共に食べ始めました。
みんな美味しそうに食べてくれました。中でもドライマンゴーは好評でした。
食べ終わったところでワーク開始!
私たちから子どもたちにこのような質問をしてみます。
「さっき、みんな食べる前に『いただきます』って言っていたと思うんだけど、どんな相手に向けて言ったのかな?」
「いただきます」の相手について考え、思い浮かんだものを絵に描いてもらいます。
思い思いに「いただきます」の相手を描いてくれました。
工場で働いている人
隣にいた私たち大学生と幽霊
家、ファミレス、良いお店...と場合分けして、それぞれにおいて思い浮かんだ相手を文字で沢山描いてくれた子もいました。
思い浮かんだ“相手”は人それぞれ全く異なります。
一通りみんなが絵を描けたところで、今度は私たちから子どもたちにこのような質問をしてみます。
「外国では食事の前にどんな言葉を言うのかな?」
「アメリカでは『Let’s eat ! 』と言うけど、これはどんな意味かな?」
これは知ってる子が多かったです。
「イタリアでは『Buon appetito』と言うけど、これはどんな意味かな?」
イタリアに住んでいた子が知っていて、綺麗に発音してくれました。
韓国、中国についても同様に聞いてみます。
外国の食事の前の言葉について考えてみると、「いただきます」という意味の言葉を用いるのは日本特有の文化であることが見えてきます。
そこで、今度はこのような質問をしてみます。
「日本ならではの『いただきます』という言葉はどんな由来があって生まれたのかな?」
これはみんな難しそうでした…。
「昔は、山の頂に稲作の神様が宿ると考えられていて、『いただきます』は稲作の神様への感謝を表す言葉として使われていたんだって。」
と説明すると、
「じゃあみんなが描いた絵で1番近いのは幽霊なんだね」
と気づいて言ってくれた子がいました。
神様と幽霊を近しい存在として結びつけることができるのは面白い視点だなと思いました。
私たちが普段当たり前に使っている「いただきます」という言葉。
この言葉は外国にはない日本特有のものであり、元々は感謝の気持ちから生まれました。
「いただきます」の相手をじっくり考えてみると、沢山の人や動物、物が思い浮かび、私たちが普段当たり前に親しんでいる“食”はそれだけ沢山の繋がりを持っていることに気づけます。
今回のワークを通じて、子どもたちが今後何かを食べる際に、日本ならではの「いただきます」という言葉を用いるのと同時に、“目の前の食べ物がどんな過程を経て、今、ここに至るのか”ということについて今までよりも広がりをもって考えることができればなと思います。
こんにちは(^^)/ 「せかい」クラスの月いち講師、はらみづほです。
ウクライナとロシアの戦争について毎日のように報道されている昨今、このクラスでも「戦争」について語り合うことにしました。
私は世界を旅している時、戦場となっているパレスチナ自治区とイスラエルを訪れたことがあり、そこでの体験が人生に大きく影響して今に至ります。
なので、その時の体験談を子どもたちに伝えたいとずっと思っていました。
今回スタッフのメイさんが、「せかいクラスなのに今回の戦争について話題にしないのは不自然だな、と思っていました」と伝えてくださったことに背中を押され、重い話題なので取り上げるのを躊躇していた「戦争」をテーマにしようと決めることができました。
どこの国について話すにしても、まずもっとも大切な基本は日本人の氣質と個性を持つ自分自身を大事にすることだと私は考えているので、いつものように、クラスは日本式のごあいさつからスタートです。
背筋を伸ばして正座をしたら、背中は曲げず背筋を伸ばしたまま足の付け根から上半身を折って、両足の太ももの上に置いた両手をスッと前にすべらせて床につき…
同席している人々の目を見て「本日もよろしくお願いいたします」と言ってから頭を下げます。このクラスでは、このとき敢えて一人一人としっかりニッコリ目を合わせまなざしを交わすことで、ひととき心をつなぐことを意識して…
最後はゆっくり頭を上げ、床に置いた手を両足の太ももに戻します。
このごあいさつは、私がお茶の師匠から教わったもののアレンジ版。
相手と一定の距離を保ちつつ頭を下げ、所作とまなざしで心をつなぐこの動作は、謙虚さと自信、互いを対等に尊重する礼節と丹力…が自ずと培われてゆく、美しい動作だと私は思っています。
毎回やっているので、少しずつ子どもたちにも身についてきた様子。いつか着物姿でお茶のお手前を体験する機会が持てたら、このごあいさつの意味をより深く体感してもらえるかもしれません。
さて、ごあいさつの後は、いよいよ「戦争」について語る授業の始まりです。
「みんな、ウクライナとロシアの戦争のことは知ってる?」
と投げかけると、「知ってる~」「ニュースで見た!」とのこと。
地図を広げてみんなでロシアとウクライナの場所を探し、話を続けます。
私:「ニュースを聞いてどう思った?何か思ったことはある?」
すると子どもたちから少しずつ、「ロシアが悪い!」「プーチンひどい!」という声がポツポツと湧き起こり、その後一人の子が思い余った様子で、こんなふうに答えてくれました。
「プーリン(プーチンと言いたくなくて、わざと別の言い方をして)はひどいと思う!ぼくはニュースを見た後ものすごく怒ってがまんできなかったから、自分の部屋に行って、今ここでみんなには言えないくらいひどい言葉で文句を言ったの!」
その子の表情や言葉から言葉にならない激しい憤りが伝わってきた氣がして、私はふいに胸がいっぱいになり、
「そうだったの…!よく話してくれたね!そんなふうに言わずにはいられないほど、ものすごく怒ったんだね…!」
と言って、その子の目を見つめました。
すると、その様子を見ていたみんなが口々に、「プーリン!」「ぷーにゃん!」「ぷーさん!」と、ケタケタ笑いながら口々に“おもしろネーミング”を叫び始めました。
私はその様子から、「深刻にならないようにしたい」という子どもたちの想いと、その奥にある不安や戸惑いを感じ(それが事実かどうかはわかりませんが、そんな氣がしたのです)、胸がつぶれるような、途方に暮れるような感覚になりました。
だから少しでも胸にある想いを吐き出してほしくて、
「他のみんなはどう思ってる?思ったこと、自由になんでも言ってみて。みんなの氣持ちを、どんなことでもいいから聴かせてくれる?」
と伝えると、別の子が、
「みんなロシアが悪いって言ってるけど、ほんとに悪いのは武器を売ってるアメリカだって聞いた」
とのこと。さすがタイドプールっ子!オトナ顔負けの核心を突いた発言です(笑)。
「ワーオ!そんなこと聞いたんだ!確かに、爆弾落としたりしてるってことは、その爆弾を作って売ってる人たちがいるってことでもある。つまり、戦争でお金儲けしてる人たちがいるってことだよね!そのことに氣がついたなんて、すごいなぁ!」
思わずそう答えた後で、私はいよいよ本題に入りました。
「私はね、世界の旅をしてた時、戦争をしている場所に行ったことがあるの。今日は、そこで実際に見たり聞いたりしたことをみんなに伝えたいと思います。私はそこで人生が変わるほど大切なことを学んだと思っていて、それをみんなにもぜひ知ってほしいんだ」
「私が体験した戦争の場所は『パレスチナ自治区』というところで、そこは『イスラエル』という国の中にあるの。この『パレスチナ自治区』に住んでいるパレスチナ人と、『パレスチナ自治区』以外の場所に住んでるイスラエル人たちが戦ってるんだけど、地図で探してみよう。どこにあるかな?」
(↑東京新聞のWEBサイトからお借りしました)
『イスラエル』はアラビア半島の左肩あたりに位置し、大きさは日本の四国と同じくらい。『パレスチナ自治区』はその中に、「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸」の2か所に分かれて存在しています。
『イスラエル』は世界中に散り散りになっていたユダヤ人たちがつくった国で、国連は認めていますが、アラブの国々の一部やパレスチナ人たちはその存在を認めていません。
ユダヤ人と言えば、ナチスから逃れるために屋内にひっそりと隠れ住んでいた家族の中の少女が書いた「アンネの日記」が有名ですが、迫害や虐殺を被ったユダヤの人々は今、自分たちの悲願を叶えたイスラエルという国の中で、自分たちが被ったことと同じようなことをパレスチナ人たちにしている、という皮肉で悲しい現状があります。
私がこのエリア(イスラエルとパレスチナ自治区)を訪れたのは、2002年6月。「イスラエル側の安全を確保する」という理由でヨルダン川西岸に巨大な隔離壁が建設される直前のことでした。
私は雑誌連載やラジオ番組を持ちながら6大陸60か国を6年間一人旅したのですが、その旅の中で出会ったパレスチナ人家族とのご縁がもとでこのエリアを訪れることになり、パレスチナ自治区に行くに当たっては、その家族を通じてパレスチナのNGO「PARC(パルク)」を紹介してもらい、ガザとヨルダン川西岸にある、彼らの活動地を訪ねました。
私が著書『できた!電気代600円生活(北海道新聞社刊)』に基づく講演で必ず語っていて、このクラスの子どもたちにも最も強く伝えたかったエピソードは、ヨルダン川西岸にある人口2000人のカタンナ村に訪れた時に出会った、イスラエル青年兵との対話でした。
その時のことを書いたページをここに公開しますので、どうぞ読んでみてください。
「誰も憎んでいないし、誰も殺したくない!」
イスラエル青年兵のその叫びは、今も私の心の中でこだまし続けています。
そして、「オレには何もできないんだ!」と叫ぶ彼に、「そんなことない!あなたは何だってできるよ!」と叫び返した自分の声も。
このクラスの日、私は話しながらその時のことを思い出して思わず涙がこみ上げてしまったのですが、子どもたちはそんな私の話を、かたずをのんで聴いてくれていました。
私がこの体験談を通して伝えたかったことは、
➊侵略している側であっても「殺したくない!」と叫んだ兵士が実際にいて、直接その叫びを聞いた私は、「彼の叫びはほとんどの兵士の本音なのではないか」と思っていること。
➋戦争は、お金儲けしたい人々がウソの情報を流して人々が対立するように仕向けているために起きている、と考えられること。不信感を感じると人は交流・協力をしなくなり、交流・協力せず不信・不安が蔓延している土地では、そこにある様々な資源(人・土地・モノ)をよそ者が支配しやすくなる。
破壊された土地には、「援助」という形で再生のための手が入り、結果的に援助した企業や国が儲かり、援助された方は借金が返せなくて支配されていく、という構図が世界中で展開しています。(これは戦争の理由を探求した結果たどり着いた一つの確信で、調べたり学んだりすれば誰でも氣づくことができます)
➌誰かや何かの意見を鵜呑みにしたり、少ない情報だけで物事を決めつけたりすることは「いのちの危険」につながりやすく、様々な意見や考え方を知って、感じ、考え、語り合うことが、「安心安全」につながりやすい、ということ。(これも私の約20年の学びと経験から実感していることです)
➍お金儲けを最優先している「企業(または企業から多大な献金を得ている政治家や自治体)」が広告を出したり関係したりしているメディアからの情報は、多かれ少なかれ「お金儲けを優先している人々」にとって有利なように情報操作(または自己規制)されているので、スポンサーが付いているメディアからの情報を鵜呑みにするのはとても危険であること。(私は大手広告代理店に勤めていたので特にそれを痛感しています)
❺誰がなんと言おうと、自分が感じたことや、自分がやりたいと思うことをいちばん大切にしてほしい。やりたくないことはやりたくないと言っていいし、やらなくていい、ということ。「正直な自分を表現すること」と「人々と心からつながること」の両立は可能です。
➏(授業内では伝えきれませんでしたが)一人一人のふだんの自分の言動が、確実に世界に影響していくこと。(生きていくために必要なあらゆるモノ・コトを通して私たちは日本中・世界中の土地や人々とつながっているため、一人の人間はたとえ無自覚であっても、生きているだけで日本中・世界中に影響を与えています)
授業の最後の時間には、「ロシア人とウクライナ人」両方に大人氣の「ビーツ(どちらの国でもポピュラーなスープ「ボルシチ」の原料として有名)」をサラダにしたものと、「パレスチナ人とユダヤ人(イスラエル人)」両方に大人氣の「フムス(ひよこ豆と練りゴマのペースト)」を、みんなでしみじみ味わいました。
戦っている敵同士も実は同じものを食べていて、顔も言葉も似通っていてまるで兄弟姉妹みたいだったりする。
両方の民に愛されている食べものを味わいながら、「戦争」や「侵略」がいかに奇妙なことかをみんなで噛み締めました。
さっきまで私の話をかたずをのんで聴いてくれていた子どもたちは、氣楽な試食時間になってホッとした様子。笑
「おいしい…!」「ぼく、コレけっこう好き」「フムス、食べたことあるよ!」と、話してくれて、久々に感情が高ぶってしまった私も、みんなのあたたかな声や表情にホッとして、無意識のうちに入っていたらしい体のチカラが抜けました。笑
「今日のクラスはどうだった?何が印象に残った?」と最後にみんなに尋ねると、みんな「フムスがおいしかった」と笑いながら回答。笑
でも、その言葉を言う前後の沈黙やモジモジした様子や、「それだけじゃないけど…」と言いよどんだ子の姿から、「あぁ、言葉にならないことを受け取ってくれたんだな…」と感じることができて、胸がいっぱいになりました。
しみじみ試食タイムを終え、最後はまた、二人の日直さんのリードで日本式のごあいさつ。
今回はちょっといつもと違う雰囲氣の授業でしたが、いつもはやんちゃな子も集中して聴いてくれていたことやみんなのまなざしから、私もスタッフの皆さんも、言葉に収まりきらないものを彼らが受け取ってくれた手ごたえを感じた時間となりました。
みんな、ありがとう!
また来月も、元氣に会おうね!
こんにちは!今回は、井本由紀先生のゼミに所属しております慶應義塾大学の田中、長井、吉賀の合計3名で対面授業を担当致しました。
今回は、“自分と他者における違いに気づく”をテーマに、“ゼロの状態のものに新しい何かを見出す”ワークを実践しました。
まずは外に出て、1人1つ、“お気に入り”の何かを探してもらいました。
種類、色、大きさが様々で、“ときめきを感じるもの”は人それぞれ全く異なることを実感しました。
お気に入りのものとして、自分の納得が行くものが見つかるまで何度も探し直してくれた子もいました。
私がお気に入りのものが見つからず困っていると、自分の見つけたお気に入りのものをくれた子もいました。
1人1つお気に入りのものを見つけることができたら、TIDEPOOLに帰り、ワーク開始!
私たちから子どもたちにこのような質問をしてみました。
「自分のお気に入りのものはどんな名前を持っているかな?」
「どんな性格?」
「趣味は?」
「特技は?」
「最近起きた嬉しかったことはどんなことだろう?」
「将来の夢は?」
みんな、自分の拾ってきたお気に入りのものをまじまじと見つめて、考えてくれました。
あっという間に決まる子もいれば、なかなか名前が思い浮かばず苦戦する子も…。
名前から将来の夢まで一通り考えることができた子のお気に入りのものを使って、もう1度同じワークをしました。
その子の拾ってきてくれたお気に入りのものは...大きな流木。
自分が拾ってきたお気に入りのものとは全く異なるそれを見つめて、改めてみんなで同じことを考えてみます。
「どんな名前を持っているかな?」
「どんな性格?」
「趣味は?」
「特技は?」
「最近起きた嬉しかったことはどんなことだろう?」
「将来の夢は?」
名前をミドルネームも含めて考えてくれた子もいれば、聞き覚えのあるシンプルなもので考えてくれた子も。
「性格はのんびりしてそう!」という声があがる一方、
「趣味は戦うこと!」という声も…。
全く同じものを目の前にした時、人によって見え方は全く異なるのだな…とふと感じさせられました。
また、子どもと大人とでは、“感じて、考えたことを言葉にして伝える”という工程において、大きな差異があることに気づかされました。
実はこのワークをTIDEPOOLで実践する前に、ゼミ生10人程で行ったのですが、その時は1人あたりアウトプットにかかる時間は10秒ほどで、“ゼロの状態のものに新しい何かを見出す”というワークはあっという間に終わってしまいました。
しかし、子どもたちの中には、
「自分のお気に入りのものに名前をつけるのが難しい…」
「名前よりも先に他の項目を決めるのは違う気がする…」
大人である大学生がある種の大喜利のような形で“感覚的に”決めていったのとはまるで異なっていたのです。
“自分の納得がいく答えが見つかるまで、時間をかけて考え続ける”
そんな大事なことを一生懸命考えてくれた子の姿から教わった気がしました。
今回のワークは、子どもたちにとって、“自分と他者における違い”について少しでも感じる機会になっていればなと思います。
1人1人、“お気に入り”と感じるものは全く異なり、
全く同じものを目の前にしても、感じ方や捉え方は人それぞれ。
自分の答えにどれほどの納得感を求めるのかということにも確かな違いが見られました。
様々な人が共存し、多様性に対する寛容さが求められる現代社会で、“自分と他者における違い”に惑わされず、互いに“違い”を受け入れることができるならば、この社会は自分にとっても、他者にとっても、もっともっと生きやすくなるのではないかと思います。
このワークを通じて、
いつも一緒にいるあの子が、
今日初めて出会ったあの子が、
自分とは異なる感じ方、考え方、捉え方をしていたとしても、その1つ1つを受け入れることの大切さを子どもたちに少しでも感じてもらえればなと思います。